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新聞に取り上げてもらいました(城南新報 2016年3月9日)。
2016/05/10
新聞に掲載されましたので全文を紹介します。
3.11 春そこまで(1)
東日本大震災5年
便利屋「ねこの手」
「今」この瞬間を真剣に 被災地に支店
午後11時30分。電話が鳴った。「ハチが入ってきた。捕りに来て」。仕事の依頼は京都市内から。
木津川市山城町の本社兼自宅で電話を受けた紺野英明さん(44)は、最寄の営業所のスタッフと連絡をとり、すぐに“出動”を手配する。深夜仕事は無事完了した。24時間年中無休の便利屋の腕の見せ所だ。
東日本大震災で被災。
福島第1原発の事故を受け、福島県いわき市から一家で京都に避難した。
妻のめぐみさん(34)、幼い子供4人との家族6人でようやく落ち着くことができた宇治市内の府営住宅。
見ず知らずの土地での暮らしに、地域住民から暖かな支援が寄せられた。
今度は自分ができることから地域に恩返しをしたいと、その年の11月に運送業20年のキャリアを生かして便利屋「ねこの手」を立ち上げた。
初仕事は心臓病で体が不自由な男性宅の掃除。口コミで除々に顧客が広がった。
ハウスクリーニングや植木の剪定、とゆの掃除、電球交換、大工仕事、引っ越しなどの依頼に応じて何でも請け負う。
宇治市内を拠点に当初3人で事業を始め、現在のスタッフは20人に。
木津川市に本社を置き、宇治市と伏見区、東山区のほか、滋賀県甲賀市、大阪府寝屋川市に営業所を構える。
遠くは北海道、長野、岐阜、愛知、岡山などからも仕事の依頼が寄せられる。
2011年3月11日は「運命を変えた日」だ。被災したその年は「まだ夢なんじゃないか」と思っていた。
2年目に「本当にそうだんだ」と状況を把握できた。
こうして京都で暮らし、便利屋を営んでいることを「奇跡みたいなもの」と言う。
裸一貫で始めた事業で当初2年間は赤字が続いた。財布の中は50円玉1枚という日も。
「何とかなるさと思うしかないさ」。
仕事がない時も技術と知識を磨き、常に「プロ」の便利屋であり続けた。
その積み重ねが今、除々に芽吹いている。
震災から丸5年を迎える11日、宮城県大崎市に東北支店をオープンさせる。
「京都の人に恩返ししようと思っていたけれど、お世話になっているのは僕の方。」
応援してくれている人々にねこの手の成長を喜んでもらうことが本当の恩返しと思った。
被災地での仕事は、起業してからずっと思い描いていた目標。
100万人都市の仙台市、被害が甚大だった沿岸部の石巻市や気仙沼市、岩手県大船渡市にも車で移動できる。
本社の部屋に掲げられた「『今』この瞬間を真剣に」のメッセージ。
生まれ故郷を襲った地震と津波、原発事故。震災で「俺の運も終わった」と覚悟した。
凍てつく暗闇の中、余震のたびに激しく揺れる車に一家で身を寄せ合った。
「妻に、子供に、もっと優しくしてあげられていたら」。
もしものことが頭をよぎった時、できていなかったことに後悔がこみ上げた。
でも今こうして、あの時を乗り越え、ここにいる。
「『今』って大事。1日1日、1秒1秒を大切に生きていきたい」。力を込める。
東北の人たちに喜んでもらえるサービスをしたい。温めてきた思いが動き出す。
被災地に間もなく春がやって来る。